鹿児島における芋焼酎の情報をお伝えしてゆきますが
現在工事中につき、鹿児島の芋焼酎以外の情報が上げられています。
また鹿児島や芋焼酎に関係のない話題もありますが、
開設までしばらくお待ちください。
焼酎(しょうちゅう)とは
焼酎(しょうちゅう)とは酒類のうち蒸留酒の一種である。
日本国内では酒税法によって種別基準が定められており、
連続蒸留しょうちゅう(旧甲類)と単式蒸留しょうちゅう(旧乙類)に分けられている(2006年5月1日酒税法改正による変更)。
焼酎への酒税は政策的に安くされていた。また、大衆酒として広く飲用されてきた歴史がある。
南九州を中心に醸造が盛んである。
焼酎の起源
焼酎の起源は正確には分かっていないが、
比較的有力な説は、シャム(現在のタイ王国)から琉球経由でもたらされた、とするものである。
陳侃の『使琉球録』(1534年)に「南蛮(南番)酒」のことが記されており、
この南蛮酒は暹羅(タイ)から琉球へもたらされたものであり、
醸法は中国の露酒であると記されている。
露酒とは中国の蒸留酒のことである。
シャムの蒸留酒は更に中東に起源を持ち、アラビア語で「アラク」と呼ばれた。
焼酎は古くは「あらき酒」、もしくは蒸留器を指す「ランビキ(蘭引、英語でalembic、アラビア語でアル・インビーク」と呼ばれた。
中国・韓国語では「燒酒」と表記される。
日本国内では文献記録で確認できる限り、
少なくとも16世紀頃から焼酎が造られていたと見られている。
例えば1546年に薩摩国に上陸したポルトガルの商人ジョルジェ・アルバレス(フランシスコ・ザビエルにヤジロウを紹介し訪日を促した人物)は、
当時の日本人が米から作る蒸留酒(原文ではorraqua;オラーカ=アラビア語のアラクに由来するポルトガル語)を常飲していたことを記録に残している。
また、鹿児島県伊佐市の郡山八幡神社には、
永禄2年(1559年)に補修が行われた際に大工が残した「焼酎もおごってくれないけちな施主だ」という内容の落書きが伝わっており、
焼酎の飲用について日本国内に残存する最も古い文献となっている。
その初期から明治時代中期に至るまでの焼酎は、製造に単式蒸留器を用いており、
現代の法体系でいうところの「焼酎乙類」に限られていたが、明治28年頃にイギリスから連続式蒸留機が輸入され、
高純度アルコールが安価に大量生産できるようになった。
この製法のものが「新式焼酎」として広まり、対して在来の焼酎は「旧式焼酎」と呼ばれるようになる。
その後、酒税法で「新式焼酎」にあたる「焼酎甲類」と、在来焼酎にあたる「焼酎乙類」の区分が制定された。
芋焼酎
江戸時代から南九州で広く栽培されているサツマイモを原料とした焼酎。
鹿児島県や宮崎県南部で広く飲まれている。味はかなり濃厚で、しばしば独特の臭みがあるため、
地元以外では好き嫌いが分かれるが、近年は匂いを抑えたものも作られている。
主産地は鹿児島県と宮崎県南部。
他の産地として、薩摩出身の流人である丹宗右衛門が製法を持ち込んだ八丈島などが挙げられる。
鹿児島で生産される「薩摩焼酎」は、世界貿易機関のTRIPS協定に基づく産地表示の保護指定を受けている。
出典:フリー百科事典ウィキペディア